つりバカ日誌 船頭飛び込む

忘れもしない、今は亡き裏の叔父と西伊豆土肥の先にある小下田という部落に釣りに行った時のことである。
部落下に点在する岩場が目指す釣り場であった。
まだ舗装がされていない船原峠を三菱自動車が初めてだした自動変速装置(オートマ)つきの自動車に乗ってでこぼこ道をガタゴト登った。
ウン~ん臭い?何の臭いなのか、エンジンオイルが焼ける臭いなのか?
そうではなかった。オートマが滑って登れない、ギアボックスの油が沸騰している臭いであった。

「降りて押せ」叔父の命令に逆らえず、後ろを押すが、一向に登れない。
排気ガスで白いズボンはねずみ色に変わり顔は真黒、とてもこの姿を人に見せたくない。そう思ったのは、自称…うら若き、まれに見る美少年であったせいなのかも?
何とか峠までたどりつき、これからは下りだ。
やれやれと思ったのも束の間、叔父はこの時も無駄にせず走り続けているではないか。
一息入れたいと思ったのは俺だけか?急に調子が出てきたのは、車と運転手だけであった。
必死の思いで飛び乗ろうとするが、ドアーの取っ手に届かない、下りでスピードは増すばかり、{とめて~}の声もハンドルにしがみつきアクセルを踏みつづけている叔父には「急いで~」と聞こえたのだろう。
急カーブが多くある峠付近では20~30m先は見えない。
行ってしまったこの俺を置いて!そう思った。そして次のカーブを曲がった。
いた!でも止まってはいない、スピードを落とし手招きしているではないか?
マネキン猫か。死にそうだっていうのに。足は棒、息は絶え絶え、汗は冷や汗に変わり体がいうことを利かない。

やっとの思いで飛び乗ったこの俺に、叔父は「遅かったな」それはないだろう。
ふもとの元金山で有名だった土肥に何とか着いた。
ここからまださらに先なのだ、小下田は!温泉街を通り過ぎ、順調そうに上り下りしていた自動車に異変が。
臭い、油の焼ける臭いだ!もうだめ、今度は断ろう、叔父に言うつもりでいた。
そんな思いも、いらぬ悩みに変わった。着いた、着いたのだ目的地に。

釣り宿に着くと、おばあさんが一人大きな釜で何か煮ているではないか。
天草を煮込んでいたのだ。声をかけた、おばあさんはにこりとして、座敷に案内した。
座敷といっても一間だけの小さな部屋であった。
夜の食事まではまだ時間があるからと、冷蔵庫に冷やしておいたトコロテンを出してくれた。
トコロテンに醤油、酢をかけ口にした。うまい!お代わり…何回してもタダ!タダほどたかいものはない」この言葉の意味を忘れていた。
そして何事にも挑戦するのがコバちゃんの未来に羽ばたく真の姿であった。
結局全部終わるまで手伝ってしまった。
馬鹿なのか、人がいいのかつける薬はない。その日は釣り宿に泊まった。

私達のほかにも数組のグループが泊まっていた。
酒を飲みいつも決まっているのは、ワンパターンの自慢話である。
逃がした魚は大きかった。  誰も見ていないからな?

新鮮な磯料理をつまみにビールを少々のみ、いい気分でその日は、早めに床についた。
朝四時起床、眠気も酔いも覚めないまま、軽トラックの荷台に乗せられ、でこぼこ道を揺られ船着場まで、急な下り坂を一気に下った。

私は石鯛、叔父は何でも拒まず釣れる魚でいいのである。
10人乗りの磯渡し船が岸壁に接岸し待っていた。荷物を手渡し、他のグループが乗りこみ、最後に残ったのは私と叔父の2名だけとなった。
船頭が近寄ってきた、2人は船に飛び移り、叔父はどう思ったのか、手で岸壁を押した。

おっとっと!叫んだのはなんと船頭であった。
船頭は短い足で、岸壁を蹴ろうとしていたのだ。叔父の一押しを誰が想像したのだろうか?
船頭は届くはずの岸壁に足が届かず海の中に長靴と共に消えた。
「落ちた!」誰も叫ぼうとはしない、船頭に敬意を払ったのだろう。
沈んで見えなかった海坊主が溺れている、船頭でも長靴、洋服姿では泳げないらしい。

そこでお騒がせの叔父が助け舟を出した。
何という名前か忘れたが、引っ掛けが先端についた棒でギャフとでもいうか。

すかさず海坊主の襟首に引っ掛け手繰り寄せたのである。
船頭はたまったものではない。
悲鳴に近い声を上げ船べりに取っ付いた。叔父はそれでも放さない。

心配のあまりまた海の中に消えてしまうと思ったのか? しつこい?しんぱい性?やりすぎ?  どんな言葉も似合ってしまう叔父であった。
船頭は船に這い上がり何食わぬ顔で「たまにはあるのよね、海が呼んでいることが」そして次の言葉がみんなの声に出せない笑いを誘った。

「水温は温かいよ、今日は釣れるかも、きっと釣れるよ」負け惜しみとも取れる船頭の発言に噴出したい気持ちを抑え、お腹を抱え笑いたいのを我慢した。その時の辛さは今でも忘れない。

釣れたかって、釣れるわけないだろ! コマシ(撒き餌)が船頭じゃ?


つづく


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